鉛中毒に代表される、重金属汚染は人間の生産活動の結果として野生生物の生態系および、我々人間の健康に深く係わる問題である。
近年、散弾銃による鳥類の鉛中毒が世界的問題となり、1991年、国際水禽湿地調査機構(IWRB)が主催した、ブルッセル(ベルギー)での国際会議(Lead Poisoning in Waterfowl )で鉛散弾使用の規制、スチール散弾への移行が検討されるなか、わが国でも1989、90年の両年に、北海道宮島沼においてハクチョウ、マガンの多数斃死体が発見され、日本国内でも同様の生態系汚染が進行していることが判明した。日本には、毎年ガン、カモ類をはじめとする多くの渡り鳥が飛来しており、オオハクチョウ、コハクチョウなどのハクチョウ類は保護鳥に、マガン、オオヒシクイなどは国の天然記念物にも指定されている。これらの渡り鳥は、国際的には「渡り鳥条約」の保護対象種でもあり、1996年10月現在、日本海および太平洋沿岸の諸国で鉛散弾を使用しつづけているのは日本とロシアだけになってしまった。我々は1991年協会設立以来、この問題について環境獣医学的アプローチを現在まで続けてきており、その概要と対策の必要について報告する。
わが国でも1960年代からハクチョウ類の斃死例が報告されていたが、鉛中毒との関連は明らかにされていなかった。その後1985年から1987年に死亡したオオハクチョウ17羽、コハクチョウ8羽のうち約3割に相当する7検体が鉛による中毒死とみられ(本田克久、日本生態学会誌、1988)、いずれも日本において散弾を摂取したとされている。1989、90年の両年には、北海道美唄市郊外の宮島沼で100羽を越えるハクチョウ類、マガンが衰弱・斃死し、これまであまり問題視されていなかった水鳥の鉛中毒が大きく取り上げられるようになった。これらの斃死個体は、病理解剖ならびに血液、組織内鉛濃度分析の結果、最大で44個もの鉛散弾が1羽のオオハクチョウの胃から検出されたが、他の個体でも鉛の血中濃度が正常値の 100〜200倍に達しており、鉛中毒であることが明らかにされた。1991年には石川県小松市でマガモの斃死体が発見され、解剖の結果筋胃から約100個の鉛散弾が発見され鉛中毒と診断された。この他北海道を始めとする日本各地で鉛中毒と思われる斃死体が多数発見されている。日本での事例をまとめると、表1のようになる。表2および図1は報告種・数をまとめたものである。表3および図2には、鉛中毒を引き起こした原因が特定されているものについてまとめた。
3、諸外国における対応
水鳥の鉛中毒発生例はイギリス、フランス、ドイツ、旧ソビエトなどのヨーロッパ諸国、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダなど日本を含む22カ国で報告されている。鉛散弾による水鳥の鉛中毒は、アメリカでは1974年に既に知られており、現在も毎年 160〜240万羽もの水鳥が鉛中毒により死亡していると推定され、過去44年間にわたりその対策が検討されてきた。そのほか狩猟が盛んに行われている地中海沿岸や、イギリス、カナダでもここ数年、水鳥の鉛中毒死亡例が多数報告されている。
このように水鳥の鉛中毒が世界各国で大きな問題となるなか、1991年 6月、ベルギーのブリュッセルで開かれた水禽類の鉛中毒ワークショップでは、1960年代アメリカのハクトウワシ3、000羽中の144羽が死亡した事例など水禽類以外の野生の猛禽類などの陸生鳥類31種について鉛散弾による鉛中毒が報告された。アメリカ以外でもノルウェー、スペイン、スウェーデンのイヌワシなど8カ国7種の陸生鳥類における鉛中毒発生が報告され、鉛中毒汚染が水禽類のみに留まらず、それらを捕食する猛禽類にまで及んでいることが示唆され、大きな話題となった。1993年、パリで開催されたOECD危機回避の国際会議でも、鉛の環境汚染の防止の為鉄散弾への以降を明記した。 ( RISK REDACTION MONOGRAPH No.1 :LEAD,1993,OECD )。
国際的には、既に各国で法規制や自主規制が実施されている。1992年時点での取り組みを表4に示す。(INTERNATIONAL LEAD POISONING NEWSLETTER,IWRB,1992)
水禽類などの鳥類は、食物を機械的に消化するため砂嚢(筋胃)内に小砂利(グリット)を蓄えるが、水禽類は鉛散弾をこのグリットとして摂取するため鉛中毒を起こすと言われている。通常、鳥類を狩猟する際に使用される鉛散弾は、通称5号(直径 3ミリ)または6号(直径2.75ミリ)と呼ばれるものを使用する。これらの鉛散弾は中性では、溶解・腐食しないためそのまま湖底に蓄積し、ガン・カモなどの水鳥に取り込まれる。こうして取り込まれた鉛散弾は砂嚢内で腺胃から分泌された酸性の胃液(PH2.5程度)により急速に分解され、腸管から吸収され血中に入る。血中に取り込まれた鉛はヘム合成酵素やデルタアミノレブリン酸脱水素酵素などヘモグロビンの合成に必要な酵素を不活化し、その結果としてヘモ前駆物質であるプロトポルフィリン値の上昇や赤血球の異常を引き起こす。急性期には赤血球の崩壊(溶血性貧血)により、血中ビリルビンが過剰となり黄疸(前肝臓性または溶血性黄疸)を主徴とする鉛中毒を引き起こす。
鉛中毒は、多数の鉛散弾(10個以上)を摂取した後、臨床症状をほとんど示さずに死亡する急性中毒と少数の鉛散弾を摂取後2-3週間後に削痩、緑色下痢便、翼や尾の挙上困難、衰弱などの臨床症状を示した後腸管の筋肉の麻痺よる飢餓によって死にいたる慢性中毒に分けられるが、水禽類にみられる鉛中毒の大部分は慢性中毒である。Rockeらは、一定量の鉛を摂取した慢性中毒個体では、免疫能が低下するため、種々の感染症に罹患しやすくなると報告している(Rocke,T.E. and M.D.Samuel, 1990)。
水鳥の鉛中毒の発生は、タンパク質、カルシウム、リンの摂取により鉛の体内への吸収や毒性が軽減され、また植物繊維を多く含む高繊維飼料を採るものほど強い毒性を示すなど生息環境や食性によって大きく左右される他、雪解けや湖水面の変化などの気象条件も食性に影響し、鉛散弾の堆積する餌場での摂食機会を増加させる。
病態生理の詳細については落合謙爾先生の最近の総説を参照されたい(水鳥の鉛中毒症、野生動物医学会誌、Vol.1、1996)。
日本における水鳥の鉛被爆の汚染状況を把握するため、(財)自然環境研究センターと共同で無症状の野生カモ類の肝臓および腎臓の組織鉛濃度の測定を実施した。検査材料は自然環境研究センターが収拾した、オナガガモ53羽、カルガモ20羽、マガモ17羽、ヒドリガモ10羽、コガモ3羽、オカヨシガモ2羽、ハシビロガモ1羽、キンクロハジロ1羽の計107個体である。
鉛による被爆リスクのほとんど無い、宮内庁カモ場で捕獲されたオナガガモ45例の肝臓内鉛濃度は、全例で0.1ppm以下であった。
その他の地域で捕獲されたカモ62例中、米国の連邦規制で汚染濃度とされる2ppm以上の個体は4例認められた。汚染濃度を検出した検体は、マガモ2例(No.46、No.47)、オナガガモ1例(No.1)、オカヨシガモ1例(No.60)であった。No.47のマガモでは、24ppmという高値を示した。62例中2ppm以上の値を示す個体の占める割合は、6.5%であり、全米規制基準の5%を越えていた。
我々の調査で示されたように、現在でも多数の水鳥が毎年鉛中毒で死亡していると共に、臨床症状の無いカモ類、8種・107羽の肝臓における鉛濃度は、清浄地の宮内庁新浜鴨場において、全例非汚染レベルの0.2ppm以下であるのに対して、その他の地域のカモの臓器からは、最大で24ppmの鉛を被爆した個体を始め、国際的汚染レベルである2ppmを越える臓器内濃度を示したものが、6.5%検出された。米国の鉛散弾規制の基準である5%を越える汚染率を占めたことは、今後のモニタリング調査の必要性のみならず、既に諸外国で鉄散弾への切り替えが進んでいる状況を考えると、実際に散弾を使用するハンターの啓蒙・鉄散弾導入の手引き等の具体的な対策を検討するべき時期にきているといえる。
鉛中毒の症例は、我々臨床家が日々の臨床例から見つけ出していかない限り顕在化しにくい。当協会では現在、血中鉛濃度・臓器内鉛濃度の測定系を維持しているので、疑わしい症例については生死にかかわらずご連絡いただきたい。